2005年04月30日

パンクの思い出

暫く横浜の自宅へ帰っていなかったので、昨日の夜帰りました。
バイクで帰ったわけですが、最初なんかハンドルが重たいなという気がしたので、またがったまま手を伸ばしてタイヤのチェック、その時は気がつかづそのまま乗って帰ったのですが、今朝笹塚へ戻ろうとバイクに乗ったら、なんと完全に空気が抜けていた。昨夜重たかったのはやはり空気が抜けていたためのようです、夜ということもあり気づかずそのまま走ってしまったようです。完全に空気が抜けると走れないのでパイク屋へ寄りパンク修理をしてきました。

私は海外をバイクで旅行していますが、パンクというのは意外と少なかった。といってもないわけではく、パンクの思い出はあります。
ニーオリンズからヒューストンに向かっている途中でパンク、途中のカフェで修理を始めました、そのカフェはトラック野郎のステーションになっていました。アメリカのトラックて大きいですよね、そんな沢山のトラックの脇で東洋人がパンクの修理をしてたのですが、それが最初から手間取ってできない。というのは私はオフロードの大型車に乗っていたのですがその前輪を持ち上げるのが大変だったのです。そのバイクにはセンタースタンドがないので、まず前輪を持ち上げるためにエンジンの下に何かを置かなければいけない、しかし適当なものがなくてなかなか前輪が持ち上げられなかったのです、すると、あるおじさんが台を貸してくれた。1時間近くも前輪を持ち上げるだけに時間をついやしていた東洋人が哀れに思ったのでしょう。その台を使って前輪を外しチューブの穴をふさいで再度取り付け、その際におじさんなんか言っていたけれども、かまわず取り付け、近くにあった機械で空気をいれたら・・・まだ 空気が漏れている・・・おじさんはそれ見たことかという顔、私は取り付けの際チューブを金具で挟んでいたんですね、それでまた別な穴があいた。それをおじさんは指摘していたんだと気がついた、またチューブを取り外してやり直しですが、今度はおじさんが見かねて手伝ってくれたのです。ちょっと恥ずかしかったな。でもおじさんありがとう。

もう一回はメキシコでした。 どのあたりだったかな? カリフォルニア半島からフェリーでメキシコ本土へ渡った後だったと思う、車のほとんど走っていない綺麗な山岳地帯を走っていたのですが、その途中でパンク。地図によると近くに町があるのでスタンドがあるかなと思ってそこまでゆっくり走ることにした。しかし町というより村落だった、とりあえずそのその村になにかないかなと思ってゆっくり走ったのですが、いつの間にか人が一人通れればいくらの道になってしまった。 もう仕方なく脇にあった家の庭に勝手に止めてそこで自分で修理することにしたのです、するといつの間にか沢山の子供達が集まってきた、メキシコの山岳地帯の村です、外国人も大きなバイクも見るのは初めてでしょう、もの珍しく沢山の子供達が集まってきてしまったのです、その中でのパンクの修理、ちょっとプレシャー かっこよく決めたいですよね。 今回は後輪でしたので難なくタイヤを持ち上げタイヤを取り外しチューブの修理完了、しかし、私の持っていた空気入れが自転車についている物と同じすごいしょぼい奴だった、必死で空気入れててもなかか入れられない。かっこ悪い。するとまた親切な人が現れていい空気入れをもっているからと貸してくれた。普通の自転車の空気入れですが、私の持っているものより全然よくってなんなく空気をいれることが出来ました。その間一挙一動をみんなに見られていたんですよね。だから無事オートバイが走りだしたときはホットしました。

今思い出すと結局誰かに助けられて旅をしていたんだなと思います。パンクだけでなく本当にいろいろなところでいろいろな見ず知らずの人に助けてもらった。だから、誰か困っていたら助けてあげたいなという気持ちになります。

しかし、今日のパンク修理代 思わぬ出費!! イタイな〜〜〜〜。


posted by teruterufox at 01:54 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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