2006年07月04日

掃除道

私の目の前は、今物が散乱しています。
リサイクルという物を扱っていると、毎日いろいろなものが来るのですが、それは、ちょっと気がゆるむとあっというまに山のようになってしまうのです。

以前一緒に住んでいたお坊さん、私の知識の師匠でもありますが、彼に、お寺の仕事はなんですか?と聞くと、掃除ですと答えました。
一瞬 はぁ〜? と思ったんですが、この答えにはなんか深い意味があるような気がしています。

確かにお寺や神社の本堂というのは綺麗ですよね、毎日掃除をしているから綺麗なんでしょうけど、綺麗なのに掃除をするというのは無駄なようですが、でも掃除をするということは、そこには教えのようななんか大切なものがあるような気がするのです。
身の回りのものを、大切なものを、毎日自分の手で綺麗にする、それはその物をよく見ることでもあるのかもしれないし、それは自分の心も綺麗にしているのかもしれない。

掃除というのは汚くなってからするものではなんですよね、
人の心もそうですね。

ちょっとそんな感じで、掃除道というものを考えました。
何か問題があったときは必ず頭の中が、ごっちゃになっています。そんな時はまはまず身の回りの掃除、次に机の上の掃除、そうすると次の段階、書類の掃除が出来るようになる、書類が出来たら頭の中が掃除できるようになり、そして最後に人間関係も掃除しちゃおう。そうすると埋もれていた自分の進むべき道への細い糸が見えてくる。
かもしれません。

掃除について高尚なことを考えつつも、実際私はというと、あまり掃除は得意ではないようです、掃除やれば出来るのですが、それは習慣付けされていないので、すぐ散らかってしまいます。部屋も一度散らかると、整理するのが面倒臭くなり、そのままになる傾向がある。
もちろん人がくる場合は、掃除をするんですけどね。そんなときは気合というものが必要になってしまう。
だからお店もすぐに散らかってしまうんです・・・・・・・。
お店を立て直すにはまずその辺を直さなければいないと分かっているのですが、根が大雑把でいい加減なもんでなかなか直をらないでいます。

そんな無頓着な私でも、比較的いつもきれいにしている所があるんですよ。
それは台所。
私は料理をするので、台所が散らかっているのは好きではありません。
台所が散らかっていると料理が出来なくなりますからね。
一品目、二品目と料理を次々とする場合は、やはり整理されていないと次の料理に移れないんです。
だから料理の都度々に、使った料理器具を洗って片つけてまた使う、全ての料理が終わったときは洗い物も終わり台所も綺麗な状態になっているようにしています。
片付けながら料理をすると時間が掛かるといことはないんですよね、むしろ早くなるのです。だから、私の料理はいい加減な料理ですが、その手際はよい方ではないかなと思っています。

ホンジュラスという国ののある宿には共同のキッチンがあったのですが、若い白人旅行者の人達の後は料理器具が散乱していて、次の人が使えない状態になっていたのです。宿の人もあきれて激怒していました。私は自分が料理をするためにそれを洗っていたら、宿の人は洗わなくていいと言ったけど、しかし、洗わなければ自分の料理が出来ないので私はキッチンを綺麗にしたあと自分の料理を作ったのです。その白人には宿の人が注意をしたと思うのですが、次の日も同じ、共同のキッチンでは次の人が使えるようにするというのは、最低限のマナーであるはずです。それが出来ないとなると人間性を疑わざるえなくなります。でも、以外とこうゆう白人はおおいんですよね。
北米でもユースなどの共同キッチンでは白人の若い旅行者はけっこうキッチンを散らかしている人が多かったです、だからホンジュラスでもまたかという感じだった。
そうゆう人達は普段家で料理をしていないからかそうなってしまうのかもしれません、でも私は次の人のことを考えてあげるというのは料理以前のマナーとして覚えることだと思ったので、それ以来私はキッチンを綺麗にしています。

キッチンについては言えるんですけど、そんなことより、今の私はお店を綺麗にすることを身に染みて覚えないといけないです、じゃないとあの白人のことも悪くはいえないとちょっと反省。

ということで、これから掃除道というものを身に付けたいなと思っています。
出来るかな?


posted by teruterufox at 02:40 | 東京 🌁 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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