2007年11月24日

王者への軌跡


挑戦しつづける人たちと共に歩む             
by ドンキ


内藤大助
その1



内藤大助 その2



内藤大助のポンサレック戦をまとめた動画
youtubeしょうもない動画が多いですが、これは傑作
特にその2は感動してしまった!

内藤選手は前王者ポンサレックと3回戦っています。
動画のその1はその2回分、内藤が負けた試合です。
初戦は2002年 日本ボクシング史上最短の1R34秒KO負け
この時、日本の恥とまで言われる屈辱を味わった内藤は再び
2005年 ポンサクレックに再戦 しかし7R負傷判定負け
「チャンピオンは本当に強く、ボクシングを辞めようと思った」
年齢的にも限界に近づいていた。

動画のその2は
夢をあきらめられなかった内藤選手が今年2007年再び17回防衛中の不動の王者ポンサクレックに再挑戦し、判定勝ち、ついに王者になった時の模様です。

この試合は素晴らしい。最終ラウンド両者ふらふらになりながらも打ち合いを続け、試合が終わった瞬間レフリーが二人を抱き寄せて三人で抱き合っている場面に感動してしまった。
これぞまさにスポーツ!これぞまさにボクシングだ。

そして来年の1月、4度目のポンサレック戦が行われます。
もう因縁の対決といってもいいかもしれない。
内藤選手にとってはこれが最後の試合になると思うので、
最後に本当にいい試合を再び見せてほしいと思います。

今日、その内藤選手が地元北海道での小学校でいじめについて講演をしたという記事が載っていました。

内藤選手も昔いじめられっ子だったそうです。
ご両親がすぐに離婚して、母に引き取られ
苗字が三回変わっていて、生まれたとき→母親の旧姓→母親の再婚の際に内藤になったとのこと。
家庭は貧しく、中学のときのあだ名は「ボンビー太田(母親の旧姓)」。
この境遇がいじめの原因になったとか。

いじめが始まったのは中学2年のとき、番格に嫌われ、仲が良かった友達にも避けられるようになった。
内藤はその時を振り返って
・ゲロ吐いたら血が混じっていた
・ズボンを脱がされたり、ガラスを割った犯人として身代わりで先生に謝りに行かされた
・ストレスから胃潰瘍になった
・下痢もひどく、1日に5〜6回もトイレに行く
・自殺を考えたが、自殺する勇気がなかった
・このままいじめられて、死ぬのが悔しかった

高校卒業後にボクシングを始めたきっかけも、いじめが理由。
ボクシングで強くなれば田舎に帰った時にいじめられないから。
世界王者なんて頭の片隅に も浮かばなかった。
ボクシングを通じて本当に強くなったのは、
弱かった俺の心


だと言っています。


内藤選手今後も頑張って下さい。





posted by teruterufox at 12:23| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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