2007年02月26日

友人の死

1月末、友人が亡くなりました。


そして、
一昨日の土曜日に友人が集まり、しのぶ会を行いました。

寡黙な人でした。
静かであまりしゃべらないのですが、自然と彼の周りには人が集まってきた。
そんな、
不思議な人物。


彼に導かれ笹塚に人が集まってきた、
私もその中の一人。
私がこのお店にいるのも彼がいたからですし、
笹塚共同生活時代の私の友人は全て彼を通して出会ったといっていい。
そうゆう意味では、彼は私にとっても多くの友人にとても重要な人物だった。

私心がなく、
人の心配ばかりをして、多くの人の面倒をみた彼。
いい人、というのは彼のことをいうような気がします。

おそらく彼の望みは、人々が安らかに暮らせる世界を作ることだったんだろうと思う。
静かなる彼は、ある意味革命児と対極の性格の
凄い人だったと言える。

その彼が何故亡くなったのか、どのようにして亡くなったのか、
それが、はっきりとわからない。
そのため、多くの人になぞを残しました。

そのなぞは、
人が生きるということへの大きななぞなぞかもしれない。
彼の唯一の問いかけかもしれない。

そのなぞに対して多くの友人が答えを見出そうとしている。


それぞれの人がそれぞれの答えを感じながらの
しのぶ会になりました。

不思議な人でしたが、
亡くなり方まで不思議な人のような気がします。


私は彼に、

ありがとうございます。

ただただそれを言いたい。
posted by teruterufox at 13:05| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月11日

東京タワー ボクとオカンとときどきオトン

東京タワー

昨日の夜、笹塚駅のドトールの前で、TVドラマ 東京タワーの撮影が行われていました。
主役の速水もこみちさんが来ていたので、ちょっとだけ店を空けて写真を撮って戻ってきました。
この写真です。

070210.jpg

見物人もいないので、すぐ近くまで近寄ってカメラを出して撮ったら、注意されてしまた。
なので、ボケた1枚だけです。


先週は、私の住んでいる建物の真下で撮影をしていましたので上から眺めていました。
商店街で倍賞美津子が買い物をするシーンです。


有名な本だから、知っている人も多いと思いますが、
東京タワーは、
著者のリリー・フランキーの半自伝で、子供のころから亡くなるまでの母(オカン)のことを書き綴った本です。
リリー・フランキーが東京で母と住んでいたのが笹塚ボウルの七階。
そう、この東京タワーはここ笹塚が舞台なんです、だから笹塚の町のいろいろなところで撮影をしています。
映画も公開されますが、その主役はオダギリジョー 私の好きな俳優なので、オダギリさんの方が見たかったんですけどもね、そちらは撮影が終わっていてちょっと残念。

ところで、
私はドラマは全然見ていないのですが、本を読みました。
もう、号泣き! 後半はもう涙、涙で、
私も歳なのか、涙腺がゆるんでいるのか、ティッシュを用意しながら、大の大人が大泣きしながら読んでいるという、恥ずかしい状態になってしまった。

本を読んでこれだけ泣いたのは久しぶりかもしれない、
なぜこれほど泣けたのかというと、リリーさんのオカンの愛の深さに大きな感銘を受けたと共に、おそらく自分とダブるんです。
リリーフランキーが私と同じ歳ということもありますし、私も母の愛情を感じながらも、自由気ままに生きてきた、だから、読みながら自分のこども時代のこまやかな事や、自分の母親のことが脳裏に浮かんでくる。

私は母子家庭ではないけれども、今は父も他界し母一人横浜の家に住んでいます。
その母も本のオカンと同じように、「私のことは心配しなくていいから」と いい、私の心配をする。それでいて、私が何をやっているのか何を考えているのかは聞かない。
そのことにとても深く心地よい愛情を感じずにはいられない。
横浜の家に帰るといろいろな種類の料理が並ぶ、翌日帰るときはあまった料理や野菜をもっていきなさいと袋に入れてくれる。
そんな私の母親が本のオカンとダブっていきます。

私の母の人生はどんなんだったんだろうか、自分の人生をどう思っているのだろうか、
そして、そんな母に私は何をしてあげたのだろうか? と。

おそらくそれは、私だけではなく、母親から生まれたすべての人がそう感じるのではないだろうか、
だからこの本はベストセラーになり、ドラマになり映画になり演劇の題材にもなったのでしょう。
本の中のオカンの子への愛情は、普遍的に親が子供に持つ愛情なのです。

オカンの筑豊の母親 リリーさんのおばあさんが、リヤカーに魚をのせ売って歩きながら9人の子供を育てたのに、老後には一人で暮らしそして亡くなったエピソードに、親子の刹那さを感じ、別居をしている、家族を顧みないヤクザ者のオトンと離婚をしないオカンに、男と女の摩訶不思議さを感じた。
そのオトンも別居の時にオカンより自分の母をとり、今老齢の母の面倒を見ていることには普遍的なものも感じる。
明らかに、家族のなかでも夫婦の愛は親子の愛とまったく違う愛として存在しています、しかしその愛は繋がっている。
遠くに離れて生きていてもその二つの愛は絶えず繋がっているのではないだろうか。

とにかく感動した本だけれども、女性がこの本を読んだらどう思うだろうかと、フッと思った。
この本を書いたのは男であり、読んだ私も男だから特に共感したのかもしれない、でも女性が読んだらまた違う感じかたをするのではないだろうか?、男と女の違いは、母親に対する感覚も違うのではないか?と、この本を読んでそんな疑問もすこしわきました。

女性がどう感じるかそれは男の私にはわわからないけれども、少なくともこの本を読むと、男がなぜマザコンになるのか、わかるのではないかと思います。




リリー・フランキーさんの母親は2001年に亡くなっています。
私は2000年からこのお店にいるから、少し重なっていることになるので、この商店街が好きだったオカンはひょっとしたら、このお店にも寄っているかもしれない・・・・
私と話しているかもしれない・・・・・

そんなことを、フッと思ったりすると、
商店街を歩いている初老の人がみなオカンのように感じられます。
posted by teruterufox at 13:01| 東京 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月06日

ありえない・・・

ありえない・・・

と今日の朝つぶやきまくっていた。

というのは、昨日自宅に帰り眠くなりうとうととしていたら・・・・
メガネがない!
いつの間にかメガネが無いのです。

メガネ、メガネと1時間ぐらい探したけど、全然見つからない。
冷静になり、うとうととする前どのような行動をとっていたか考えたけど、
取り扱い説明書などを読んでいたので、そのときはメガネはあったことになる、
そして、どこにも行いかずそのまま横になったはず。
ということは必ず近くにあるはずだ、そう思い布団と棚を全部調べたけど、ない。
ない、ない、ない!

今朝は部屋中をしらみつぶしに探しました。
とにかく部屋の隅から隅までを一箇所ずつ確認しながら探した。
しかし、無い!

こんなことがあるのだろうか?

あるものがない、おかしい・・・。
ありえない。こんなことはありえない。
うとうととしていたのはわずか数分間のはず、
その間に夢遊病者のように立ち上がってどこかへ行ったのだろうか?
それともだれかが入ってきて盗んだのか、メガネを?
記憶がない、
アルツハイマーか?
それとも、座敷童子か?
メガネがこつ然と消えるとは。
ありえない。


しかし、
困った、予備のメガネがないので、本当に困った。
メガネが無いと、30cm位離れると見えないんです、ほとんど盲に近いど近眼。
横浜まで予備を取りに行くのも大変だし・・・・
お店には行かなければいけないし・・・・
メガネは絶対必要だし・・・・
しかたなく、新規購入を決意し、買いに行こうと玄関まで行ったのですが、

最後にもう一度だけ探してから諦めることしようと戻り、
何気なくティッシュボックスを触ると、
中に何か入っている感触が・・・・。

あった!

なんとティッシュボックスの中にあったのです。

よかった〜。

まさかティッシュボックスの中とは・・・
探すときに何度も何度も手にとって移動したのに、
まさか中とは・・・気がつかないわけです。

何気なくメガネを外したときにティッシュボックスの上に置いたのかも、
ありえないことではないので、やっぱいりありえないことはありえないんですね。
座敷童子じゃなくってよかった。

今日はこの騒動で半日潰れた、もし買いに行っていたらさらに大損です。
改めてメガネの大切さを実感してしまいました。


今は視力回復手術でもしようかと真剣に考えています。
posted by teruterufox at 21:45| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月04日

節分

節分

昨日の土曜日は節分でしたので
私は横浜の家に帰り豆まきをしました。

節分に豆まきをするのは、両親の記憶があるから。
小さい時の記憶ですが、父が節分の日、家の戸を全て開け
大きな声で、「鬼は外! 福は内!」 とやっていた、
他の家に聞こえるんじゃなかとちょっと恥ずかしかった。

その父が他界すると、今度は母が申し訳ないような小さな声で
「鬼は外 福は内」とやっていた。
それは、かわらしくもあり、ほほえましくもあった。
息子の私が言うのはなんですが、私の母はかわいいと思う。
そんな母も見れるので、
だから、節分は好きなんです。


昨日私が家に帰ったのは、夜の11時半、
夜遅いので大きな声は出さないで、
小さな声で、「鬼は外 福は内」とやりました。

全ての部屋に撒いたのですが、鬼はどこにもいません。
御勝手にも、トイレにも、どこにもいない。

鬼なんかいないのに、なんでこんなことをやっているのかなと思った時、
あ、そうか、鬼は人の心の中にいるだ、とわかった。

鬼は外 福は内 と自分の心の中に問いかけ
自分の心の中に住んでいる鬼を外にだし、福を入れます。
そう思いながら、全ての部屋に豆をまいてきました。

心の鬼は出て行ったかな?

鬼は外、福は内。



恵方巻きも食べましたよ。(^o^)
posted by teruterufox at 21:20| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月03日

お店について

以前2月までに売上が100万にならなければ、お店を辞めると書きましたが
今は2月ですよね、それでどうかというと
結局100万にはならなかったのでお店を辞めることになりました。

この話はここのお店を持っている方との1年前からの約束です。
また、100万というのはお店を維持していくのに必要な金額でもあるのです。

まだ、今月はあるので頑張りますが、
もう2月ですから現実的に判断をしなければいけません、また、その準備をしなければいけない。
現在、委託受付を止めていたのはその関係もあったのです。

ただ、当初2月いっぱいと考えていたのですが、3月いっぱいになりましたので、、
委託の受付を再開いたします。
但し3月末までということを御了承の上お持ち願います。

その後どうするかというと、お店については、お店の持ち主がいろいろおもしろい案を考えています。
但しリサイクルはやらないようです。
私については、はやりリサイクルは面白いので、とりあえずネットでのリサイクル販売を模索しようと考えています。
お店もいつかどこか別な場所ででも復活したいなとは思っています。
どうなるかわかりませんが、これからが本当の自立独立への道となります。
具体的に決まったらまたここに書きますね。

どちらにしても以後、私はお店にはいません。
2月からお店に来た人にはこの事を話していますが、、
私がいなくなることに、多くの人が残念がってくれて、そのことを本当にありがたく思っています。
人との出会いは一期一会ではありますが、その出会いは大切にいたします。

私がお店に来たのが2000年ですから、もう7年やっていたわけですね、
収益もないのによく続いたなとも思えるのですが、それは単に、多くの人に支えられたので、これまでやってこれました。
本当にみなさん、ありがとうございます。

まあ、死んだわけではないし、3月いっぱいまではお店にいます。
以後の連絡先も後ほどここに書かせていただきますので、なにかありましたら気楽に連絡をしてくださいね。
posted by teruterufox at 12:45| 東京 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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