2006年12月20日

ケニアでのお仕事

何人かの人に、アフリカで仕事をしていたのですか?
と聞かれました。
先日の記事に、そのようなようなことを書きましたからね。

普段の私を知っている人は、私が海外に行っているとは思わないでしょう。
どこにも行ったことがないような顔をしていますので、そんなオーラは全然でていません。
私はオートバイで旅行していて、訪れた国は35カ国位かな、主にヨーロッパ、アフリカ、北米、中米、南米です。トータルで約6年日本にいなかったのですが、アジアを旅行していないので、世界旅行者としては訪れた国は少ない方です。

ODAの仕事はケニアで2年弱しました。
どんな仕事かというと、ダムや灌漑用水路や水田、それと農業支援施設学校なのど建築です。私はそこでコンクリート構造物の施工図面を書いていました。

現場の規模は結構大きく、
用水路延長等は10km近くあり両側に道路と歩道を作りました。この水路の為に山を切り開いていく風景はかなり圧巻でしたよ。
ダム周辺などは見渡す限りの大地を引っかきまわして山すらも取ってしまいます。
土木工事現場というのは雄大な風景だなと思ったもんです。

現地のワーカーは多いときで千五百人以上いました。
かなり大きな現場だと思うのですが、それをまとめているのはたった10数人ほどの日本人です。
私は、3年のプロジェクトうち、2年弱ほど参加させていただきました。

出来上がったあとはケニア側が管理運営をしているのですが、
その後どうなったのか? 
ちょっと気になったのでネットで調べてみましたら、経済協力評価報告書というのがあった。これによると、うまくいっているみたいで安心しました。

経済協力評価報告書

でも、他を見てみると、「98年末にコメの買取価格をめぐる農民たちの不満が表出し、死者を出す暴動が起こった。」という記事があります。 ん〜〜〜。

http://www.jiid.or.jp/j/ARDEC/ardec25/Resource.htm


ケニア山の麓で、みんな幸せに暮らしていた、いい町だったんですけどね、そんな暴動が起こってしまったのは残念です。
私がいたのは14年前で、今も大して変わっていないのではないかなと思っていますが・・・・
なんだかんだ言ってもまだまだ生活は大変なのでしょう。

ケニアにもう一度行けるなら、是非訪れてみたいな。


ところで、私が働いた経験からいくと、PKOとして自衛隊がなぜ道路整備に大勢いかなければならないのか不思議でならなかった。正直自衛隊が行くのは大袈裟です。戦闘に行くなら話は別だけど、そうでなければ、数人の日本人と現地のワーカーで立派に道路は作れるのに。それに現地の人にとっても仕事にありつけるからいいはずです。危険地帯ならなおさら外人より現地の人の方が安全なのでは?
莫大な予算を使うならもう少しやり方を考えた方がいいのではないかと思います。

posted by teruterufox at 14:50| 東京 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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