2006年11月25日

ALWAYS三丁目の夕日

今日はお勧め映画の話。
今度の12月1日夜9時に映画「ALWAYS三丁目の夕日」を地上波の日本テレビ系列でやります。
この映画お勧め、絶対見て損はない、笑うことも泣けることも保障しましょう。
とにかく面白いので用のない人は是非見てみて下さい。
映画ていいな、日本ていいな、家族っていいな、人ていいな、と思いますよ。

この映画の原作である三丁目の夕日は漫画雑誌ビックコミックオリジナルに連載されていたものです。
私も十代後半にこの漫画雑誌をよく読んでいました。
お父さんが買ってきて姉と私と親子3人で読んでいた雑誌です、それもなんか懐かしいな。
三丁目の夕日はその中でも好きな漫画の一つ、物語の舞台は昭和30年代の東京、三丁目に住む人々の心暖まるストーリーに毎回泣かせていただきました。

その三丁目の夕日が昨年映画になった。
漫画ではなく実写映画、それが凄く評判がよく昨年度の日本の映画賞は総なめだったようです。
ヤフーの評価でも他の名作を押しのけ不動のトップとなっています。
お涙頂戴のノスタルジー映画ではありますが、ストーリーも演出も俳優の演技もそして映像もどれをとっても非の打ち所がないぐらいの出来でしたので、評価が高いのは頷けます。

個人的には他にいい映画好きな映画ははあるけれども、この映画ほど年代性別に関係なく幅広い層、まさに老若男女、そして性格にも関係なく全ての人に薦められる映画はないかもしれない。
テレビの宣伝マンではないですが、
多くの人に暖かい気持ち、やさしい気持ちになってもらいたい、だから12月1日が暇だったらテレビ見てほしいなと思います。
私はお店があるのでテレビは見れません
残念。

この映画には心暖まるエピソードが沢山盛り込まれています、その中でも私が印象に残ったのは、茶川先生が見えない指輪をヒロミさんに差出し、「お金が・・・箱しか買えなかった・・・・。」と情けなく言い、それをヒロミさんが受け取る場面。
お金がなくても勇気を持って告白する茶川先生に心打たれてしまった。
私もお金がないから親しみを感じてのかな。
あまり書くとネタばれになりますので、後は映画を見てみて下さいね。


ところで、
この映画のキーワードにノスタルジーというのがありますが、これってその時代を体験したことのない人も感じるものだろうか?
私はこの映画の時代はまだ生まれていなかったのですが、何故かこの映画の風景にはノスタルジーを感じるんです。だから今の20代の人が見てもノスタルジーを感じるのだろうか?その辺は聞いてみたい気分。

昔タイに行った時、バンコックの裏町に駄菓子屋みたいな所の軒下でビールが飲めるところがあったのですが、そこでビールを飲みながら通りに面した家々というか長屋の人々を見ていると、なんか懐かしい雰囲気を感じた。私のお父さんが来たらはまるだろうななんて思ったりしてね。
アフリカでも中南米でも発展途上国と言われる国々では通りでも人々の生活が垣間見れる所があります。
喜怒哀楽のある人々の生活が垣間見れる活気ある町を旅するのは楽しく、どこの国ででも、そんな風景にはどことなく懐かしさを感じるんですよね。

映画のHPに副題として、
「携帯もテレビもパソコンもなかったのにどうしてあんなに楽しかったんだろう。」
と書いてあります。
でも、本当は、楽しいだけではなく、悲しいことも沢山あった時代だと思う。

楽しいことも悲しい事もあるから、
生きてるて思えるのかもしれない。

posted by teruterufox at 14:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月20日

予は常に諸子の先頭に在り
硫黄島玉砕総司令官
栗林忠道

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ついこの間 「散るぞ悲しき」という本を読みました。
この本は第二次世界大戦時激戦とされた硫黄島の総司令官として亡くなった栗林忠道のことを書いた本です。
栗林忠道は硫黄島以外では特に活躍はしていなかったので、日本の人には知らない人もいると思う、しかし、当時のアメリカ軍にはもっとも優秀な指揮官として尊敬されていた人だそうです。

それは硫黄島の戦いがアメリカ軍にとってもっとも過酷を極めた戦いだったからに他ならない。
アメリカはこの硫黄島侵攻における戦功にたいし27個の名誉勲章を海兵隊に授与しました、それは単独の戦場においては最多であり、またヨーロッパをも含めた第二次世界大戦時に授与された総数の1/4に当たるらしい。
その事からもアメリカにとって硫黄島は過酷な戦場だったとゆうことがわかります。

そして、
アメリカ軍は上陸部隊6万、海軍支援部隊20万の大部隊に対し、日本軍は2万2千。 
硫黄島は東西8km、南北4km 面積わずか22平方キロメートル 上の写真でわかると思いますが本当に小さな島です、その島を26万人のアメリカの大軍が800隻の艦船、4000機の航空機により制空権、制海権を持っていました。砲弾などの攻撃力の差で見ると、一説には3,500倍の鉄量差があったといいます。
空も海も支配しているのでアメリカ人のだれもが簡単に陥落すると思っていた、その圧倒的に優位なアメリカ軍に対して栗林中将率いる日本軍は互角に戦ったと言われているのです。
それゆえ栗林忠道がアメリカからもっとも恐れられそして優秀な司令官として上げられる理由になっています。

そして近年栗林忠道の家族への手紙が公開され栗林忠道の人柄がわかってからは、さらにその思いは強くなったのではないかなと思う。

私もこの本を読もうと思ったのは、今年の初め栗林忠道を題材にクリントイーストウッドが映画を作るという話を聞いてその談話から直感的に栗林忠道はいい人なんだろうなと思ったからです。

私は今まで戦争物の読み物は読んでいません。
戦争時代高位の人達の思想には必ず、天皇や大日本帝国や大東亜圏などの言葉が出てくるのではないかなと、読んではいないけどもそう感じて・・・。祖国のためを思うその神聖なる信念はよいのですが、でもなんかそれが好きではなくて避けていました。

ただ栗林忠道に対する評価にはそのようなものを感じない、それで読んでみたわけです。
そして、読んでみて私の中での栗林忠道の評価も高くなり、彼に魅力を感じるようになりました。

本は物語ではなくルポルタージュとして書かれています。
栗林忠道の親族や友人、部下などの栗林忠道と直接合った人の証言と栗林忠道の書いた手紙からで構成されています。
人の証言は、美化されて記憶されるものだから作られた人格になる可能性はあるけども、栗林忠道の場合は数多くの家族に宛てた手紙が残っていて、その手紙から私達も栗林忠道という人を直接感じることが出来きるのです。

置かれた状況の全体を冷静に把握する能力と、合理的で実践的で具体的な手だてを次々にくり出せる想像力と、最後の最後までやり遂げてしまう実行力、この本では優秀な指揮官として栗林忠道がそれらを兼ね備えていたことを感じます。
しかし、それだけでは人間は魅力的な人にはなれない、人を引き付け魅了するもっとも必要な能力はやっぱ 愛 でしょう。
この、愛という言葉は滑稽であいまいかつ断定的だから、表現として合っているか私も自信がないのですが、愛のようなもの、たとえば、なんかこころ暖まるような感覚を感じるものを持っている人に、私は魅力を感じる。
それを栗林忠道は持っていたと栗林忠道の家族への手紙からそれを感じたのです。

栗林忠道が尊敬される本当の理由は、愛があったからに他ならないと思います。

それはマザーテレサやガンジーから感じるような大袈裟な愛ではなく、
普通の人が普通に持っている普通の愛なのです。

この本には栗林忠道が家族に送った手紙が数多く書き記されている、その手紙の文面から栗林忠道の人柄が誰でも容易に推測でき、その手紙を読むと誰もが、この人は人に対するやさしい気配りを忘れない品位ある人格者であると感じるでしょう。
特に妻や家族に対し栗林忠道がどのような状況でどんな思いで書いていたのかと思うと私は涙が出てきてしまった。

私がこの本で一番感銘を受けたのは 家族への愛 というものです。
これほどまでに家族を愛することができるのはうらやましいことだと思ってしまった。それは尊敬に値いします。
末娘の夢を見、妻の夢を見、そして冬は冷え込むからと家の台所の隙間風の心配をする姿はホームシックともとれなくもない内容かもしれないのですが、普通の人ならほほえましくもある話ですよね。
しかし彼は小笠原諸島の最高司令官なんです。2万2千の命を預かるという重責と、そして極限の戦場においてもなお普通の平常な感覚を失わなかったのは、ほほえましいというより賛美に値すると言えますし、それが栗林忠道の魅力でもあると言える。
家族への手紙には天皇や国家などの言葉は出てこない。常に妻や子供達や親戚友人そして東京で空襲があったときの人々のことを気遣っていたと思われるのです。
戦場という極限の状態においても尚、遠く離れた人達を思いやれる心に心打たれる。
彼にとっての戦争は、祖国のための戦争ではなく、愛する家族や人々を守るための戦いであったのかもしれません。


栗林忠道の家族への手紙はとてもわかりやすいのですが、それに引換え、大本営への手紙は、文章の書き方がまったく違い、わかりづらい、私の頭が悪いのかもしれないですが、深読みしなければなにをいいたいのかわからないんです。公的な文章だからかっこよく書かなければいけないのかもしれませんが、あんな文章のやりとりでは業況の把握は難しく戦争には勝てないよ。と思ってしまった。

栗林忠道はアメリカへの留学経験もあり、戦前にアメリカ大陸を車で旅行したこともあるというほどの親米派でした。そのときすでに日本とアメリカの国力の差を感じ、戦争には反対していたらしい、硫黄島においても、大本営に対し、早期の和平を痛切に要求していた。硫黄島の日本軍が生還できる可能性があるとすれば、早期和平しかありえなかったのです。
しかし、それは聞き入れられることがなかった。
私はなぜ栗林忠道は日本政府と戦わなかったのかと惜しく思うのですが、
当時の日本は栗林忠道ほどの品位あるそして冷静かつ常識的な日本人すら抵抗することの出来ない思想の渦に飲み込まれていたのでしょう、そう想うとちょっと怖いです。
栗林忠道をつぶした当時の日本がもっていた「その場しのぎ」や「お役所体質」は、今も全く変わることなく残っている気がしなくもないのもまた怖いですね。



それともう一つ
本書を読んで硫黄島が本当に過酷で地獄のような戦場だったことがわかりました。
硫黄島には地下水がない、飲み水は雨水を貯めて飲用としていました、戦闘が始まる前は水筒に一人一日一本の配給があったそうですが、それでも南国の硫黄島では喉の渇きを癒すには十分ではないと思ってしまうのに、戦闘が始まったらそれすらも十分配給出来なくなる。
夜露さえも嬉々として口に含んだという記述を読むと、日本人の敵はアメリカではなく飢えだったんではないかと思うぐらい、硫黄島が本当の地獄だったんだろうなと想像するのは難くない。

硫黄島に派兵されることは、生きて故国に帰れないことを意味する。それを知りながら戦いそして亡くなられた日本人の方々のことを想うとなんともいえない悲しい気持ちになってしまいます。


そしてもう一つリーダーというものはどうゆうものかと考えさせられた。
栗林忠道は最後まで兵の士気を低下させずに戦ったと言われていますが、それは、それだけ部下に慕われていたことを意味すると思う。
ただ、兵の評判はよかったけれども、今までとは異なる考え方からか、古株の参謀や部隊長達とは馬が合わなかったそうだ。

栗林忠道の赴任前は小笠原諸島の司令部は父島にあり、誰もが栗林忠道も安全で水も食べ物も豊富にあった父島から指揮をすると思っていたらしい、父島にいれば安全だし、実際父島の被害は少なかった。しかし栗林忠道は自ら前線である硫黄島に赴きそして一度も硫黄島を出ることはなかったのです。アメリカとの戦闘前の硫黄島には父島との定期船、木更津との連絡航空機が飛んでいたにもかかわらずである。
その理由をこの本では 「無残な死を兵士たちに強いざる得なかった栗林はだからこそ硫黄島での日々を、つねに兵士たちとともにあろうとした」 のではないかと推測しています。通常司令官は下級兵士に会う事はないらしいのですが、栗林忠道は2万の兵士の全てに会っているらしい、嘘か本当かわかりませんがそう書いてあった。栗林忠道は家族を思いやるのと同じように部下達をも思いやることの出来る人物だったのかもしれない。それで部下に慕われ最後まで士気を低下させずに戦うことが出来たのではないかと思うのです。
リーダーの大切な資質は思いやりで、家族を愛した栗林忠道を知ると、自分の家族を愛せないものは人の上に立つ資格はないと言い切れる気がします。

予は常に諸子の先頭に在り

栗林忠道が3月17日最後の決戦の前に硫黄島の全将兵に向けて打った電報の最後の言葉です。
彼が最高のリーダーだったことを印象付ける一文ではないだろうか。





今巷では、いじめや自殺の問題が大きく取り上げられていますが、それは生きることの意味を見出せないために起こっている問題ではないかとも思います。
この硫黄島の戦いはそんな生きる意味を見出せない若い人達に知ってもらいたい物語かもしれません。

61年前に硫黄島に送られた若い兵士達は十中八九生きて帰れないことを知っていた、
そんな人たちがどう生きどう死んでいったのか、
人のために死ぬことは、いや生きることはどうゆうことなのか、
生きること、しそして死ぬことの意味を多少でも感じていただければなと思う。




栗林忠道も生きていれば当然A級戦犯として裁かれているでしょう・・・・・

全ての戦没者の方達に尊敬と感謝の念を捧げます。




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posted by teruterufox at 01:34| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月15日

向かいのお店

の改装工事が始まりました。
新しいお店はキッコーマンがやっている「食いしんぼう万才」というお惣菜屋さんです。
やっぱり次もお惣菜屋さんでした。
なんだかんだ言っても食は強いし安定しています。
食を扱っている70%は失敗するといいますが、残り30%に残れれば長期に安定するらしい。

工事期間は1ヶ月で12月初旬にはOPENします。

前の店の大きな蛍光看板をバリバリバリと壊していた なんか淋しいものがありますね。
中の棚やカウンターなども全部壊していたのでもったいない気分、お惣菜屋さんならそのまま使えたのに・・・・・・・ 
でも大手の新規OPNEですから古い機材は使わないでしょう。
前面改装だから改装費はかなり掛かりそうです、これも売り上げに反映しないといけないのですから、お店をやるというのは大変だなとさらに思ってしまった。

以前紹介した国立ファームの高橋がなり氏も野菜を中心としたレストランを12月にオープンさせるのですが、本人はすでに儲からないと試算している。

新規オープンでその費用は1億円、月に100万の純利益があったとしても、返済には9年掛かる、9年後には時代も変わっているからこのレストランは儲かりませんと宣言しているのです。

それでもやるのですから、余裕があるということです。
高橋氏は10億円を持っているのだから出来るんであって、個人が銀行からお金を借りてやったら心臓がはち切れるでしょう、というかやるのは不可能か。
今度のお店もキッコーマンという大手の企業だから出来るのかもしれないです。
ただ、家賃は45万ということですので、私が思ったより安く思わず借りたいと思ってしまいました。

とバカなことを思っている場合じゃありません。
私は2月までに月100万の売上を上げなければいけないのです。
今の倍ですから、正直なにか手を打たないと難しい状態。
人のこと考えるより自分のことを考えないと。

そこで、私は今住んでいるところを12月に引越しをしなければいけないので、どうせなら近くに事務所として借りてそこにお店の荷物を一部移動して今のお店をすっきりさせ売上を上げようと考えています。
それと、止まっているネット販売を再開する予定です。
これでなんとか第一目標の100万をクリアしようと思っていますが、どうなることやら。

しかし目標は売上100万ですが、100万でも、まだ普通の人より収入は少ないんですよ。
簡単に考えて、委託で考えた場合返金率が60%とすると、残り40万です。そこから消費税の5%を引くと35万、お店の経費が15万で残り20万ということです。これで事務所として10万がでたら私に残るのは10万ですね。やっぱりコンビニでアルバイトでもしたほうが収入がいいです。しかもこれは100万円の売上があったらの話です。
40男の普通の人と同じぐらいの収入にするには、月の売上200万というところでしょうか、今の4倍です。それか委託をやめ買取にして原価率を下げるかです。

おそらく、これを聞いたら早くお店をたたんで田舎へ帰った方がいいという意見が多いと思います。
でも私はやり方によってはいけるという、感覚はあります。今お店をやっていてリサイクルに対する需要はあると感じているんです、さらに、私の目標は200万で止まっているわけではありませんよ。

と大ぼら吹く前に、とにかくこつこつ頑張ります。

通りが暗くて淋しいので、
前のお店も早くOPENするといいな。
posted by teruterufox at 23:25| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月09日

リサイクルショップのプロ

今、委託を止めています。
それは、何故かというと物がいっぱいだから、
非常に単純な理由で、ちょっと情けない。

今お店の中は物であふれている。
特に洋服ですが、新たに受けても掛ける場所がないので、みんなが、売れないものは捨てて行ったほうがいいよと助言してくれます。
売れないんだから置いておいてもしょうがない、買取をしたやつは処分出来るので、捨てて行った方がいいことは確かです。
買って捨てるのは損をしているわけです、だから、もうちょっと何が売れるか売れないか見極める目が必要になってくるんだなと今更ながら思てしまった。

リサイクルの場合物を持って来てもらって、それを委託、買取をしています
それはこちらがほしい物が来るわけではないのです。
これは売れると思ったものも、それは1点しかありませんから
リサイクルでは売れ筋のものを揃えることが出来ないんです。
しいて言えば、こちらから買いたいものを提示してそれ以外は受けないという方法はあります。そうすれば両はかなり減るでしょう。
大衆的なリサイクルにするか限定したものにするかですね。

大衆的なリサイクルでは物が増えるのは宿命です、
誰か必要な人がいるのではないかと、思って引きうけるわけです。
そして、それが売れるとやっぱうれしい。

情で買ったものは売れずらいですが、情があるからおもしろい部分もあります。
リサイクルは売りたいものを売るわけではないのですから、情がなければ出来ないのです。

かと言って売れないものは、受けてはいけない。
これなら誰が興味を示すかを、察して仲買に立つのがリサイクルショップのプロなんだと思います。

今の私はその認識を広めることが必要です。
posted by teruterufox at 21:46| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月08日

エロビデオの虎の新たなる挑戦

ずーと前に高橋がなりと言う人のHPを紹介したことがありますが、この高橋がなりを知っている人はいただろうか?

高橋がなりプログ 虎の声 
http://blog.livedoor.jp/sod/


特に有名人でも偉い人でもないのですが、昔テレビで人気の番組だったマネーの虎という番組に出ていた人ですので
知っている人は知っているかなと思います。
マネーの虎は、企画を持ってきた人達のプレゼンを聞いてその人に投資をするかどうかを決める番組でした。
企業を志す人にはとても興味のあった番組ではないかなと思います。
私も2回ぐらい(少ないですが)見たことがあり、世の中いろいろな発想をもっている人がいておもしろいなと思って見ていました。

しかし、沢山の人の企画を持ち込ちこまれ、投資を受けた人も沢山いるんですが成功した人はいるんだろうか?と思い、ちょっとネットでその後を調べてみたら、成功をした人はあまりいないようです。
企画を続けている人はいるようですので、それはとりあえず成功ということですが、結局途中であきらめた人も多く、まあ世の中そんなに甘くないなというところでしょうか。

その番組に投資家の虎として出演していた人が高橋がなり、彼の出している本は全部自己啓発本、これからなにかをやろうとする人を応援するメッセージを書いています。
先に紹介したプログも人生相談もので、その回答は凄く納得、高い認識をもって仕事をしている人だなと感心していました。
なので、一般の人には高橋氏は企業家として知られているのかもしれません。

しかし、彼のやっていた会社「ソフトオンデマンド」を知っている人は少ないのではないかなと思います。
エロビデオの好きな人は知っているかも知れませんが・・・・・

そう、高橋がなりのやっていた会社はエロビデオの制作会社なんです。
「ソストオンデマンド」は現在のアダルトビデオ業界ではもっとも大きな会社で、高橋氏の言葉を借りると今日のエロ業界の地位向上に貢献した会社、ということです。アダルトビデオの地位向上?と思うのですが、エロにバラエティー感覚をもちこんで大衆化を目指したようです。

私の記憶では、10年ぐらい前に、本物のフィギュアスケート選手を全裸で滑らせて公然わいせつ罪で高橋氏が捕まったという新聞記事をみたことがあった。当時え!フィギュアの選手がと驚いたのですが、高橋氏の会社はそうゆうことを企画する会社なんですね。
兎に角、突拍子も無いそして業界一下品な企画により現在のアダルトビデオ業界でもっとも大きな会社になったようです。

プログを読むとかなりの人格者のようですが、やっていることは業界一下品なことをしている、というそのギャップはなんかおもしろいです。

プログを見て私が印象に残った高橋氏の言葉は
「言葉なんか信じるな。重要なのは行動です。」
抜粋 http://blog.livedoor.jp/sod/archives/23561132.html

言葉ではなく、
行いで人を判断しなさいということです。


私の言葉も信じちゃダメですよ。


前置きが長くなりましたが、
その高橋氏が今年アダルトビデオ会社を退社し農業を始めました。
今の日本の農業を変えたいと新たなる挑戦をしています。

国立ファーム
http://www.kf831.com/


その新しい企画がなんかおもしろい、
会社の立ち上げからの課程を刻々とプログで紹介をしています。
農業に対しては素人丸出しの集団ですが、真剣に農業に取り組んでいる姿はうかがる。

資金は高橋氏がエロで稼いだ10億円。
HPにどのくらい使ったのか表示してしてあって、それを見ると
すでに6千万円使っているのに売り上げは0円。
まだ販売をしていない立ち上げ段階だからしょうがないのですが、とにかく利益をだすことを目標として利益が出なくても10億円全て使い切るまでやるそうです。
自分版マネーの虎ですね。

巨大農業企業に成長するのかどうか楽しみです。


ちなみに私の叔父さんも農業改革に取り組んでいます。
西部開発農産
http://teruterufox.seesaa.net/article/22744576.html


私も、古着リサイクルシステムの改革をしたいと密かに思っていたりして。
posted by teruterufox at 00:14| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月07日

閉店2 こだわり

先週北海道から友人がきました。
彼は北海道で小さなレストランをやっていましたが、この夏に店を閉めました。
彼がレストランを始めたのと私がこのお店でリサイクルを始めたのはだいたい同じぐらいの時期です。私にとっては兄のような感じの人ですから、是非お店に行ってみたいと思っていたのですが、結局いけないまま閉店してしまい残念に思っています。

彼はどちらかというと他の人よりも、行動力、判断力、そして体力がとても優れている人です、特に判断をして行動をするスピードはとにかく速い、そして人に頼ることなく全て自分でやってしまいます。そんな彼だからお店もうまくいくだろうと思っていたのですが、現実は難しかったようです。

今年に入ってからは、何でこの歳になってこんなに貧乏をしなければいけないんだ ともらしていました。
客が一人も来ない日は、全てを否定された気持ちになるということです。
私もこのお店が上手くいっているわけではないので、この言葉は人事ではありません。
今日私のお店では午後6時ぐらいまでに3個しか物が売れず、訪れる人も少なかった、この先売れるという保障はないのですから、こんな時は不安になります。
このまま誰にも見向きもされずに淋しく朽ちていくのかなと・・・・。

今日売れても明日売れる保障はありませんので、そのためにどのお店も売れる努力をしているんですよね。
ビジネスの世界でマーケティングが重要になってきているのは、売れないリスクを最小限にするためでもあります。

彼が、運営が上手くいっていないお店の一番の問題は店主の”こだわりだ”と言ったのを覚えています。
個人商店が一番陥りやすい問題に店主のこだわりというのがあります。どうやったらお店に人が来るのかと、広告や内装などいろいろと策を練ったりしますが、結局、お店のカラーが大衆受けしなければダメなんですよね。
マーケッティングとは店主のこだわりではなく、客のこだわりを探る手法でもあるのです。
だから、お店を運営させる上ではマーケッティングは凄く重要視されいるんです。

しかし、
かと言って、このこだわりがなければ店主がお店をやる意味がなくなる・・・・・
彼が先の言葉を言ったのは、昨年笹塚にあるカレー屋さんに行った時。 そのカレー屋さんもあまりお客が入っていず、どうすればお客が入るか悩んでいた、しかし、彼には、本場の美味しいカレーを出すというこだわりがあったんです。バイキング形式で味は落としたくないし、テーマパークのような内装でごまかしたくないような、兎に角味で勝負したい みたいなこだわりを私も感じました。
私はそれでいいと思います、それで潰れたら潰れたでしょうがないです。
潰したくないのであればこだわりを大衆に向けていく意識をもたなければいけないのですが、大衆のこだわりを正しく認識するには、それなりに経験しなければ得られないことかもしれないのですから。

個人商店や個人レストランの多くが生活のためだけにお店をやっているわけではないんです。

私の友人は、お店を止めてから肩の荷がおり精神的に楽になったといいますが、
しかし彼の中ではもう一度お店をやるという夢があります。
上京をしてきたのは、仕切り直しをするための資金を作りにきました。もうすぐ60歳になるのですが、そのパワーに歳を感じさせないのは感心します。派遣や期間工など一時的に就職をすればある程度の資金を作ることが出来るでしょう。
そのまま就職し続ければ安定した収入が得られていいと思うのですが、結局人生はお金だけではないんですよね。

一度失敗をしているので、なにが悪かったかよく考えていると思う。また、失敗をするごとにこだわりも変わってくるんじゃなかかと思います。
そして、自分のこだわりが大衆に受け入れられたときが一番の成功といえるんじゃないかと思います。

ちなみに、彼は一人ものです、家族を含めて人に依存しない迷惑をかけないというのが彼の生き方の信条でもあるのです。


今日笹塚の駅の前を通ったら、健康食品のお店が無くなっていた。新しいパターンのお店だからどうかなと思ったのですが、やっぱりダメだったみたいです。
それと、メガネ屋もなくなった、安売りのメガネ屋で私も利用していたので、これはちょっと痛かったです。
安いメガネを売るというこだわりはいいと思ったんですけどもね。


それと、先に書いた笹塚のカレー屋さんだんだんとお客さんがついて来ているようです。
うまくいくといいですね。
posted by teruterufox at 03:03| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月04日

閉店

私のいるお店の前のお惣菜屋さんが一週間前に閉店をしました。

この商店街では、比較的明るい大きな店でしたので、このお惣菜屋さんが閉っていると、通りが一気に閑散とした感じがしなくもない。いつもは11時過ぎまで明かりがついているのに、今は真っ暗、
なんか淋しいです。

端から見ていると、呼び込みなどして、活気があり、儲かっているようでうやらましかったんですけどもね。
でも、実情は違うようで採算的には苦しかったらしい。

以前働いていた人が一日20万を売り上げないと赤字になるような話をしていた。
客単価1000円としたら200人ですね。これってどうなんだろうか?多いのか少ないのかわかりませんが、集中的に売れていたのは5時から8時ぐらい、長く見て4時間としたら、1時間あたり50人約1分に一人ですね、やっぱそんなにお客さんいかなったかな。

みんなに聞くと、「高かったからね」と口を揃えて言います。
確かに、ちょっと高かった、でも有機野菜を使用し手作りをうたっていて、味はよかったんですよ、それが売りでもあったんです。

今思うと、もうちょと安くすればお客が入ったのかな?なぜそうしなかったのかなとか考えてしまいます。
あれだけの店を出すには改装費厨房機器レジ機器看板広告敷金など考えたら3千万以上は掛かるはず、新たに出店するとまたそのくらい掛かるのだから、なるべくなら今あるところを改善して維持したほうがいいに決まっています。
でも大手の会社はそうしないんですね。

このお惣菜屋さんは比較的大手の会社が運営していました。グループ企業で経営実績はかなりあり、ノウハウも持っているはず、そしてマーケッティングもしっかりしているはず、そしてそれなりの改善作を練ったはずですが、それでもあえて自分達のやり方ではこの場所ではダメだと判断したのでしょう。安い材料を使うなど一からやり方を変えることは逆にコスト高になり採算がとれないと判断をしたんだと思います。
株の世界で損切りという言葉があります、大きな損をする前に、損を覚悟に売ってしまうことですが、その理屈が大手の会社経営の中には浸透しているようです。

しかし、
このお店がダメだとなるとこの商店街で儲かっているお店てあるのだろうか?
私のお店は儲かっていません。
個人経営だからなんとか続いているといったところです。

前のお店が閉店して
お店を運営するのは大変だと改めて思いました、
でも、だから"やりがい"もあるのかもしれない。

最後は特に閉店セールとかやるわけでもなく、ひっそりとしていて
なんか淋しい最後でした。

ロックフィールド
http://www.rockfield.co.jp/
posted by teruterufox at 23:40| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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